こんにちは、Favomag編集部の高井です。
金沢市の中心に位置する、金沢城公園。兼六園からも近いので観光コースに入れる方も多いと思います。
石川門って昔、正門じゃなかったんすよね。どうして今の形になったのでしょうか。
こちら、石川郡の方を向いていたことからその名がついた石川門は金沢城跡の東に位置します。兼六園から一番近く桜とのショットを求めて、春は大勢の人が訪れます。宝暦9年の大火によって全焼しましたが、11代藩主前田治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になりました。
石川門をくぐると、そこは、芝生の広がる金沢城公園となっています。
菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)が2001年に復元されました。文献を元に、安政の頃の景観を忠実に再現し、現代に蘇らせたのです。
明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模である金沢城。 復元にあたっては、石川県内の熟練した宮大工たちが日本古来の工法で建設しました。
でも、ちょっと物足りないと思った方、いらっしゃいませんか。
・・・そう、金沢城の天守閣がないのです。
どうして復元しなかったのでしょうか。その理由を紐解いていきましょう。
金沢城の歴史をざっくりとご紹介
ところで、金沢城はいつ、どのようにして造られたかご存知ですか。起源は、前田利家公が登場する前の一揆の拠点「金沢御堂」だったのです。1546年、加賀の一向一揆、日本史でも出てきませんでしたか?!
金沢城のある場所は、浅野川と犀川、ふたつの川に挟まれたなかでも最も高い場所に位置しています。自然地理的に、防御に適した立地だったのですね。一向一揆が織田信長に屈服したのち、佐久間盛政という殿様の後、前田利家公が入城してきます。1582年から1869年に14代慶寧(よしやす)が版籍奉還で城を出るまでの約300年、前田氏は金沢城の城主であり続けたのでした。
明治になると、金沢城は陸軍の管轄となり、軍事施設として使われるようになります。第二次世界大戦後は、金沢大学のキャンパスとして使用されていましたが、金沢大学跡地を取得後、基盤整備や休憩施設など公園としての受け皿を整備し、開園しました。菱櫓や河北門、いもり掘など城郭施設の復元を進め、最近では、橋爪門の復元や玉泉院丸庭園の整備を行っています。
金沢大学のキャンパスに使われていたんなんて、知りませんでした~。いろいろ活用されていたんですね。
金沢城には天守閣がなかったの?
金沢城にも、かつては天守閣がありました。前田利家公が入城した3年後、天守閣を造ったものの、20年足らずで、落雷のため焼失してしまったのです。その後、天守閣が再建されることはなく、廃藩置県まで、金沢城は天守閣がない城だったのです。
どうして再建しなかったんですか?
再建したなかった理由としては、財政的には初期から苦しかったということが大きいそうです。
百万石といえど、外様大名。前田家の参勤交代は、12泊13日で4~6億かかっていたと言われています。
(写真提供:金沢市)
また、大規模な修復作業を行えば、徳川政府から危険視されるわけで、あえて文化面に注力して、政治には関心がないと欺く狙いがあったともいわれています。
どうして復元しないの?
昔あった天守閣。現代、ここに天守閣を再現すれば、観光地としては抜群の宣伝と集客力になるはずです。
もうひとつの理由としては「復元するための資料がかなり不足している」のだそうです。そこで、城内にあった建物の資料がそろったものから「従前の構造で復元する」という作業を行っています。それは、かなり大規模な木造建築を復元しているとも言え、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓と「江戸末期の金沢城の姿」を復元したものになっています。
ちゃんとした形で残したい
金沢城はいまも街の中心部に位置します。金沢市景観条例も制定されており、大きなものを木造で作るのは法律上もかなりハードルがあるのです。また、天守閣を再現したとしても、天守閣は江戸時代初期に造られたのが最後。しかし、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、江戸末期の金沢城の姿を復元しており、時代が300年ズレてしまい、統一性が保てなくなってしまします。
再現を望む市民の声も多かったようですが、いろいろな大変さを工夫してクリアしながら「本物」を少しずつ復元することにこだわっているのです。
金沢城公園
住所 | 石川県金沢市丸の内1番1号 |
TEL | 076-234-3800 (金沢城・兼六園管理事務所) |
開園時間 | [3月1日~10月15日] 7:00~18:00 [10月16日~2月末日] 8:00~17:00 |
入園料・入館料 | <金沢城公園> 無料 <菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓> 大人(18歳以上)310円、小人(6歳~18歳未満)100円 ※団体割引など有 |
駐車場 | あり(有料) 県営兼六駐車場 |
アクセス | JR金沢駅から「兼六園・小立野方面行」のバス約10分「兼六園下」下車、徒歩5分 |
Webサイト | 金沢城公園公式HP |
お城に、天守閣が、なければ城じゃ無いです、
天守閣をさ再建しなければなりません、
なーに県民の皆さんに寄付して頂き、石川県民の全国に
散らばって県民に寄付して頂いて、資料は何とかなります、天守閣は要ります。
金沢城にこんな歴史があったことを知って、感動しました。次の機会には是非行きたいです。また金沢城を復元するに当たって、資料を集め出来る限り江戸末期当時の陣容を再現したと言うこと、天守閣が再建されなかった理由など、郷土を本当に愛し、誇りをもった方々の仕事だなと思いました。
天守閣が無くなった理由が面白すぎ