みなさん、こんにちは!富山の伝統工芸品が気になりだしたFavomag編集部千田と申します。
最近なぜか思ったんです。富山ってどんな伝統工芸品があるんだろうと。
歴史的に見て城もあり城下町であり、長い間伝わってきたものがあるはずです。そこで調べてみました。
国指定された伝統工芸が5つありました。
今回はこちらの伝統工芸5つに触れてみたいと思います。
それでは、どうぞ!
【高岡銅器】
今から400年前、加賀藩二代目藩主前田利長が高岡城を築く際、
城下繁栄を図るための産業政策として、高岡市に鋳物工場を造ったことが始まりとされています。
当時は日用品や農機具に主に使われましたが、時代の変化と共に文化の向上などにより銅合金鋳物の需要も上がり、寺院の仏具だけではなく一般家庭にも求められるもうになっていきました。
更に時代が進み、花瓶・茶具などにも用いられるようになり、美術的価値も高め今の高岡銅器があります。
1907年3代目高岡大仏が造られる際、高岡銅器の職人が活躍していたそうです。
【井波彫刻】
1390年に建設させた「井波別院瑞泉寺」が何度も焼失することがあり、
そのたびに井波の職人が再建したそうです。
瑞泉寺本堂再建の際は、本堂彫刻のため京都本願寺より彫刻師が派遣され、
この時井波の職人も再建に関わり、派遣されてきた彫刻師から技法を教わったことが始まりとされています。
【高岡漆器】
江戸時代初め加賀藩藩主前田利長が高岡城を築いたとき、武器や日常生活品を造らせたことが起源となっています。
中国から堆朱、堆黒などの技法が伝えられ多彩な色使いで表現され、立体感を出すため彫刻塗、錆絵、螺旋など技法も生み出され取り入れられてきました。
これらの技法は、高岡の伝統的な日用品などにも用いられ町人文化の中に発展しながら溶け込んでいきました。
現在では毎年5月に行われる、「御車山祭り」で使われる高岡御車山にも、この高岡漆器で用いられる技法が使われてるそうです。
【庄川挽物木地】
16世紀末加賀藩は、材木を庄川を利用して運ぶ流木事業が始められました。
そして庄川周辺に貯木場が造られ北陸の集散地となり、その後19世紀に入り庄川町で職人がろくろ木地を商売し始めた事が庄川挽物木地の始まりだとされています。
素材としてケヤキ、トチが使われることが多く、天然木はそれぞれ違った魅力があり年輪、色、木目などその木の個性・表情を見せてくれます。
現在では、経済産業省指定の伝統工芸品です(1978年〜)。
【越中和紙】
越中和紙の名称は「五箇山和紙」「八尾和紙」「蛭谷和紙」の三産地を総称したものです。
越中和紙は障子紙、半紙そして近代的な書画など幅広く使われています。
また八尾和紙は加工するために製造された和紙となっています。富山の薬売りの鞄に使用されるなどしていたそうです。
受け継がれてきたものと近代との融合に感動!
富山は歴史の教科書にも出てくるような有名な人物がいた地です。
古くから伝えられ、そしてその文化を守り、受け継いでいく。最近では伝統工芸を近代アートに取り入れたりと発展してきています。
富山の伝統工芸品も伝統を守りながら更なる発展をしていってほしいですね。
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